万事屋の壁になりたい人

銀魂が好きすぎて空知先生の頭の中が見たいが故に考察もどきしてます。

銀魂の「缶けり」が象徴するものとは

Q.銀魂では時々缶けりが出てきますが何か意味があるのでしょうか?

 

A.

缶けりって子供頃の象徴的なイメージだったり、昔の遊びのイメージだったり、

多くの子供が理不尽さに半泣きになりたが楽しむゲームじゃないですか。そういった理不尽さを通って人は大人になったりする。

銀魂において時々子供の遊びやその中の理不尽さって大人になる為の肯定的な物して描く事が多々あります。

 

ところが、

銀魂の登場人物達は皆、

缶けりなんてする環境が無かったのだと思います。

新八や神楽はずっと1人だったし、銀さんだって基本的に純粋な子供として遊べるような環境はほぼ無かった。将軍暗殺篇の登場人物達も、信女も。

 

結果、銀魂の人物はこの道を通ってないから大人になりきれてなかったりします。

例えば、坂田銀時が大人になり切れてない印象があったり、神楽ちゃんも14歳にして初期はおままごとをずっとしてる。

だからこそ、銀魂は昔の赴きのある全力の遊びをまるで取り戻すように大人達にさせてあげるんじゃないかなって個人的には思っています。

 

 

失ったあの頃は今からでも取り戻せるし、幾つになっても楽しい。 今もしそのチャンスがあるなら全力で笑おうって。

そして、その取り戻すように遊んでく大人達に心理的変化が生まれ、本当に大人になってくのが銀魂かなと思います。

 

逆にその時間が尊いからこそ失っちゃいけないし、 失う怖さと戦わなきゃいけない。

今が幸せだからこそ怖くて怖くて逃げたくなる物語でもあるんだぞってギャグ回や缶けりを全力で楽しんでる大人達を見て空知先生に言われてる気になります。

 

 

多分銀さんはそんな楽しむ時間よりも逃げる事をぱちぐらに会う前は選択してしまっていたから。

そして今も悩んでしまう。そんな愛しい時間も自分との闘いの1つなのかもしれません。