銀さんは自分の命を蔑ろにしているのか
Q.死刑になろうとしていた坂田銀時は自分の命をどうでもいいと思っていたのでしょうか?またお登勢さんに拾われた時には護る覚悟があったと思いますか?
A.
坂田銀時は「誰かにいかされた命」 「誰かの犠牲の元、生き残った命」 なんですよね。
なので坂田銀時は自分の命がどうでもよかったのではなく 「自死するにはあまりにも軽い」のです。
でもやっぱり
「なんで自分だけ生きてるんだろう」
「自分のせいで仲間は死んだ」
「俺の命の代わりにアイツが死んだんだ」
と自責の念と 「松陽を殺した罪悪感と感覚」
「敵を斬りまくった人殺し」
である自分に自罰的になり、辛くて、怖くて フラッシュバックして どうしようもなく乾いてしまった心に彼は「死にたい」という感情を抱えているのではないでしょうか。(鬱の時の感覚です)
しかし生かされてしまった命。 自死は出来ない だからこそ「人を救った上で死刑にされる」 事で自分を正当化しようとしてたんだと思います。
でもそれは「弱さ」なので 彼は死刑にすらして貰えなかった。 むしろ死ぬことで全て帳消しにしたかった彼は
「先代の命に結局生かされてしまった」
結果的に彼は「生きる」 しかなくなってしまったし 銀魂は生きてる事が最大の贖罪なので 坂田銀時の懺悔は生きる事になりました。 そしてせめて そんな臆病な自分が侍で居続けるために ゼロになった約束から もう一度償うように、次は護れるように お登勢さんと再び約束したんだと思います。
もしかすると彼の生きる理由として「約束」を利用したとも言えるかもしれません。
また、お登勢さんに来た頃に 護る覚悟は無かったとホウイチ回を読むと解釈できます。
約束に執着し、 自罰的に人を護る事でどうにか心を保とうとしていたにすぎない。そんな時にぱちぐらに出逢って「自罰的に生きても自分を生かしてくれた人は喜ばない」と教えて貰ったし、 護って失って、守られて失なう事が 人生だと気づけた。
だからこそいま現状を享受し、護り護られる覚悟とその恐怖から戦う勇気を得ていく物語になったんだと解釈しています。