万事屋の壁になりたい人

銀魂が好きすぎて空知先生の頭の中が見たいが故に考察もどきしてます。

尾美一篇の新八と銀時の相関性

Q.尾美一を斬った新八と先生を斬首さた銀時の物語の関係性について

A.

尾美一篇は「坂田銀時がトラウマを乗り越え師の背中を越すこと」がテーマです。

銀魂坂田銀時は成長せずぱちぐらが背中を越して行く事が前提の物語なので、最終回までに果たさなきゃいけない長篇の1つがこれでした。

坂田銀時と同じように師を斬った新八が 銀さんと違う「笑って生きてくこと」を選ぶ事で銀さんの背中を越していく様子をこの長篇は描いています。

また、その姿を見た坂田銀時は自分が師を斬ったトラウマから新八を見ることで救われ乗り越える事が出来たのが大まかな流れなのです。 めちゃくちゃ深い。

ちなみに銀さんはいつも自分としか会話してません。不器用なので自己解決で済ませてしまうんです。

でも銀魂のテーマは護り護られる事、 要は人と共に生きることを描いてる。 自己解決じゃ何も変わらないことをずっと敵を通して伝えてるんですよね。

なので、この尾美一篇は師を通して坂田銀時がぱちぐらと会話し、共に答え導き出すことで好転的な結末になる構成なのです!!

 

「「何故上記のテーマが必要か」」

最終篇は新八と神楽が銀さんの背中を越していないとなりません。なぜなら次世代に繋いでいく物語であり、この戦いが終われば新八達が時代をリードしていかなきゃいけないからです。

 

最終篇はあくまで前線で戦って来た者達のフィナーレであり、自分で自分のケツを拭う作業でもあったからです。

そして、銀さんは死神篇までに自分の後悔を消化させてなければなりません。銀さんはトラウマを乗り越えないと人になれず、虚を倒せないからです。

 

――― もう少し因数分解したものを置いておきますね! 尾美一篇を大きく2つの流れに簡単に分けて解釈するとこうなります。

(1) 尾美一の事実が発覚した際、銀さんは自分と同じように新八は苦しむのではないか。と悪役を演じる事で回避しようとする。

解釈 →この行動はいつも通りの銀さんなんです。自己判断して自分の価値観で物事の判断をしてしまう。 これでは、昔と同じように新八を護る事は出来るかもしれないけど、新八の魂は殺してしまいますし、 「他にもいい方法があったんじゃないか」と悪夢を見る坂田銀時の答えには、いつも通りのままなので辿り着けません。

(2) 銀さんの真意に気づいた新八は銀さんの木刀を預かり倒す。

解釈 →木刀を託す事で銀さんの意志を継ぎ、 尾美一を倒す事で新八は銀さんを越え 銀さんはトラウマを乗り越える。 つまり、銀さんの自己判断に対して新八達は銀さんと対話しに来ます。 銀さんは銀さんの中にしかいつもない答え(価値観)から、新八達と話す事でやっと違う答えをやっと見つけるんですね。 (四天王篇などでもそうですが)

この時始めて、銀さんは新八が自分より強く、同じように師を斬っても乗り越えられる事に気づきますし、何より新八には万事屋とお妙さんがいる。 これがどれだけ彼を救うかを銀さんは仲間を持つ事でやっと気づけます。 この時、銀さんはある意味師を斬ったトラウマを乗り越える事ができ、乗り越えさせてくれたぱちぐらの存在が段々銀さんの背中を越していってる描写でもありました。

また、新八は銀さんと同じく師を斬っても真っ直ぐ立っている、悪夢も見ること無くこの世を呪うことなく笑う事を選んだ彼は坂田銀時の背中をちゃんと越していく存在となる事が描かれています。

銀魂における新八の役割

Q.銀魂における新八の役割ってなんだと思いますか

 

A

新八の役割は万事屋を「繋ぐ」事と「主役」で居ることな気がします。神楽ちゃんは愛する事、伝えることは得意だけど、愛されてるか不安なので繋ぐのは得意じゃないんですよね。メールの返信待ってみたり、死んだフリしたり独断で動いて自己完結しちゃう。

一方銀さんに関しては2人のことが見えてないので少しでも手を離すとどこかに行っちゃう。

その点新八は精神的にバランスがよく、守り守られてる関係性をちゃんと分かってる。坂田銀時を殴れる位にまともであり、大人でもあると思うんですよね。元々新八は心が侍なのではなく、力が無いからこそ自信が無いだけなので。

なので新八が居ないと万事屋そのものが成り立たない、彼が居ないと万事屋は護れなかったと思います。

またエピローグで「新八ならなんて言うかな」と考える坂田銀時を読むと、新八の存在は坂田銀時にとってストッパーでもあったんじゃないでしょうか。

新八が銀さんを侍として見ているから坂田銀時はずっと自分の憎しみや鬼を捨てて侍でいることが出来たんだと思います。

また銀魂において坂田銀時は成長しないが基本的スタンスなので、新八という王道的な成長していく姿を描くことによって少年誌へのバランスを上手くとっていたように感じます。彼が侍として成長し、万事屋を護るから銀魂でいられる。誰も殺さず傷つけない未来を、新八達の未来として手にした事で坂田銀時の代では叶わなかった無駄な争いを

新八が主人公として繋ぐ事ができる

王道物語にする事ができたと思います。

その証拠に彼は最後社長になった。これが全てな気がします。坂田銀時さえも救った真の主人公。

銀さんは自分の命を蔑ろにしているのか

Q.死刑になろうとしていた坂田銀時は自分の命をどうでもいいと思っていたのでしょうか?またお登勢さんに拾われた時には護る覚悟があったと思いますか?

 

A.

坂田銀時は「誰かにいかされた命」 「誰かの犠牲の元、生き残った命」 なんですよね。

なので坂田銀時は自分の命がどうでもよかったのではなく 「自死するにはあまりにも軽い」のです。

でもやっぱり

「なんで自分だけ生きてるんだろう」

「自分のせいで仲間は死んだ」

「俺の命の代わりにアイツが死んだんだ」

と自責の念と 「松陽を殺した罪悪感と感覚」

「敵を斬りまくった人殺し」

である自分に自罰的になり、辛くて、怖くて フラッシュバックして どうしようもなく乾いてしまった心に彼は「死にたい」という感情を抱えているのではないでしょうか。(鬱の時の感覚です)

しかし生かされてしまった命。 自死は出来ない だからこそ「人を救った上で死刑にされる」 事で自分を正当化しようとしてたんだと思います。

 

でもそれは「弱さ」なので 彼は死刑にすらして貰えなかった。 むしろ死ぬことで全て帳消しにしたかった彼は

「先代の命に結局生かされてしまった」

結果的に彼は「生きる」 しかなくなってしまったし 銀魂は生きてる事が最大の贖罪なので 坂田銀時の懺悔は生きる事になりました。 そしてせめて そんな臆病な自分が侍で居続けるために ゼロになった約束から もう一度償うように、次は護れるように お登勢さんと再び約束したんだと思います。

もしかすると彼の生きる理由として「約束」を利用したとも言えるかもしれません。

また、お登勢さんに来た頃に 護る覚悟は無かったとホウイチ回を読むと解釈できます。

約束に執着し、 自罰的に人を護る事でどうにか心を保とうとしていたにすぎない。そんな時にぱちぐらに出逢って「自罰的に生きても自分を生かしてくれた人は喜ばない」と教えて貰ったし、 護って失って、守られて失なう事が 人生だと気づけた。

だからこそいま現状を享受し、護り護られる覚悟とその恐怖から戦う勇気を得ていく物語になったんだと解釈しています。

銀魂の「缶けり」が象徴するものとは

Q.銀魂では時々缶けりが出てきますが何か意味があるのでしょうか?

 

A.

缶けりって子供頃の象徴的なイメージだったり、昔の遊びのイメージだったり、

多くの子供が理不尽さに半泣きになりたが楽しむゲームじゃないですか。そういった理不尽さを通って人は大人になったりする。

銀魂において時々子供の遊びやその中の理不尽さって大人になる為の肯定的な物して描く事が多々あります。

 

ところが、

銀魂の登場人物達は皆、

缶けりなんてする環境が無かったのだと思います。

新八や神楽はずっと1人だったし、銀さんだって基本的に純粋な子供として遊べるような環境はほぼ無かった。将軍暗殺篇の登場人物達も、信女も。

 

結果、銀魂の人物はこの道を通ってないから大人になりきれてなかったりします。

例えば、坂田銀時が大人になり切れてない印象があったり、神楽ちゃんも14歳にして初期はおままごとをずっとしてる。

だからこそ、銀魂は昔の赴きのある全力の遊びをまるで取り戻すように大人達にさせてあげるんじゃないかなって個人的には思っています。

 

 

失ったあの頃は今からでも取り戻せるし、幾つになっても楽しい。 今もしそのチャンスがあるなら全力で笑おうって。

そして、その取り戻すように遊んでく大人達に心理的変化が生まれ、本当に大人になってくのが銀魂かなと思います。

 

逆にその時間が尊いからこそ失っちゃいけないし、 失う怖さと戦わなきゃいけない。

今が幸せだからこそ怖くて怖くて逃げたくなる物語でもあるんだぞってギャグ回や缶けりを全力で楽しんでる大人達を見て空知先生に言われてる気になります。

 

 

多分銀さんはそんな楽しむ時間よりも逃げる事をぱちぐらに会う前は選択してしまっていたから。

そして今も悩んでしまう。そんな愛しい時間も自分との闘いの1つなのかもしれません。

 

高杉は何故銀さんに刃を向けるのか

Q.高杉は銀時に先生を斬らせてしまった事で、刃を銀時に向けてるのでしょうか?

 

A.

諸説ありますが、

 

個人的には殺してあげたいし、

殺されたかった高杉の我儘

 

でもあったとんじゃないかと思います。なのでエピローグは、吹っ切れた高杉が坂田銀時の意志をずっと尊重して動いてるのかなと。

 

高杉も坂田銀時もお互いが似てる事を知っています。

 

ですが、高杉は自分が広げてしまった風呂敷を簡単に終わらせる訳にはいかない。それでいて生きてるのが本当は辛くてしょうがない。

処刑されようとした銀時と似てるから同じ状態なんです。

結局、高杉は自死するには安い魂過ぎて、

 

 

貴方(銀時)に殺されれば報われると思ってる。

 

だから似てるお前も同じ気持ちなんだろ?って。それに高杉達の敵は形ではなく時代。誰を恨んでいいのか本当は分からないんです。分からないから、

誰かを攻撃するにふさわしい相手が坂田銀時だった。

 

要約すると、

先生を殺させてしまった坂田銀時は死にたいほど辛いはずなのに、彼は自死は選べないからこそ自分が殺してあげたい。それに坂田銀時に殺させてしまった自分が憎くてしょうがない。だけど自分自身を憎むだけの強さのない高杉は坂田銀時に殺されたかったんです。

 

貴方に殺されるなら本望だ

貴方には殺させるだけの価値があると。

 

だから互いに刃を突き立てた。

 

また、エピローグで分かりますが、そうやってぶつかりながらも高杉が越えられない壁の坂田銀時でいて欲しかった。結局彼は殺すつもりより殺されるつもりでぶつかって行ったんだと思います。我儘なんです多分。笑

 

結局、将軍暗殺篇でお飯事だと思っていた万事屋は立派な未来であり、とっくに坂田銀時は大人になっていて、自分と似ているはずの銀時はもっと先を見てたで、洛陽篇から態度が変わるのはそのせいだと思います。

 

似てたけど、坂田銀時はずっと前に進んでたんですね。

そしてやっぱりそれは高杉が追いかけたい背中であり憧憬な姿で、だからこそ彼は坂田銀時の事を殺すのではなく、救いたかったし、仲間の元へ返してあげたかったのだと解釈してます。

先代夜右衛門の「人」と「鬼」について

Q.先代夜右衛門の「人」と「鬼」についてそれぞれの解釈を教えて欲しいです。

 

 

A.

先代の「鬼」は自分が処刑していくうちに、

殺しすぎたが故に相手に礼節を持つことが出来なくなってしまった。

即ち「自分の罪に溺れてしまった鬼」の事を指していると思います。

また朝右衛門も同様「鬼」と自称するのは

師を前にした時、 師に対して礼節の心を持つよりも 「自分の感情に溺れてしまった」状態で斬ってしまったからなんですよね。

 

つまり、両者に共通してるのは相手を重んじるよりも「自分の感情が優位」になってしまった時の事なんではないでしょうか。

また、松陽先生も「自分を護る剣(鬼)ではなく人を護る剣(人)」を使いなさい。

と教えたように、彼等は自分の感情に溺れ、人を護る、救う剣が使えなくなった状態を「鬼」と呼ぶのだと思います。

となると、

 

必然と「人」の剣は 相手を想う剣、救う剣。

 

と解釈できます。

朝右衛門が「人」として先代が扱ったのは

恐らく白夜叉を前にした時に彼女が

「貴方が可哀想な女の子を救ういい人だから、私は貴方を辛くないように殺してあげるね」

と彼に向き合い、礼節を持った相手優位の思考だからです。

実際、坂田銀時はその言葉に救われて生きてます。

 

これを読み解くと夜右衛門(兄)は

自分の為に処刑人の命を奪って行った(鬼)と

自然と結論付ける事ができます。

 

なので、銀魂は簡単な話、

 

 

「鬼」は自分優位の状態

「人」は相手を救える人

 

の事を指しています。

銀さんがずっと白夜叉から抜けれないのは、彼が今まで自分の為に戦い、自分の為に師匠を救いたくて仲間を巻き込んできた自分優位の状態だからであり、

歌舞伎町に来て、

相手を護る剣を本当の意味で見つけ、何度も何度ももその為に剣を振るうことで人として許されていくのが銀魂なのだと解釈してます!

おいてってくれなかった銀魂はずるい。

銀魂はおいて行かない物語にしなきゃいけない
そう思って描いてくれたのがエピローグである
映画銀魂ザファイナル。

 

でも、私は、一個人として
置いてかれたかったんです。
あー終わっちゃった
もう原作は見れないけど万事屋は続いてくんだなぁ
銀さん達は自分達に意思を残して終わってった。
だからこそ続いても行く物語だったんだなぁと。

そっかそっか、でも終わっちゃったのか、
仕方ないと思いたかった。

 

でも、映画銀魂はおいてってくれなかった。
万事屋がこれからも、

繰り返し迷いながらも続いていく未来も
映画の最後の最後が銀八先生で、
松陽先生も馬鹿でしょ?

笑ってやってよって姿勢も、

あれ、銀魂続くんじゃない?
ひょっとして続編あってもおかしくない?

って終わった悲しみより希望を持ってしまった。

 

 

だってだって、アニメは毎回リアタイして、
新OPEDは食入いるように見て、
気に入った歌詞はその日で覚えたり
こんなにワクワクドキドキ

煌めいてた15年間の日常が
終わってしまう事がこんなにも虚しいのに、
続くかもしれのいって

これから何十年も続いてくれるかも

分からない作品を待ち続けるなんて
もっと虚しいよ!!

 

大円団だったよ、

希望ある銀魂らしさしか無かったよ
最高でしたよ
だからこそあー終わったかぁ。

15年間最高だったなぁ

って思いたかったのに
これじゃ思えないじゃん!
一生好きじゃなきゃだめじゃん。

 

タマの誤作動みたいにもう居ないのか…

って彼らの空気がほんの少しだけ残っ

てる現代で生きてくのか…

って思いながら生きてくんでしょ??

最高かよ!!(錯乱)

 

 

おいてって欲しかったんです。
コレじゃ一生片思いじゃないですか。
こんなに苦しくて幸せなことないじゃないですか。
私は逃げたかったんです。
銀魂終わっちゃったから

忘れて生きてこ!くらいでいたかった。
何も背負わず生きたかったのに
銀魂がこれからも

ずっと忘れられない作品になってしまった。

 

ずるい、ずるいよ銀魂