先代夜右衛門の「人」と「鬼」について
Q.先代夜右衛門の「人」と「鬼」についてそれぞれの解釈を教えて欲しいです。
A.
先代の「鬼」は自分が処刑していくうちに、
殺しすぎたが故に相手に礼節を持つことが出来なくなってしまった。
即ち「自分の罪に溺れてしまった鬼」の事を指していると思います。
また朝右衛門も同様「鬼」と自称するのは
師を前にした時、 師に対して礼節の心を持つよりも 「自分の感情に溺れてしまった」状態で斬ってしまったからなんですよね。
つまり、両者に共通してるのは相手を重んじるよりも「自分の感情が優位」になってしまった時の事なんではないでしょうか。
また、松陽先生も「自分を護る剣(鬼)ではなく人を護る剣(人)」を使いなさい。
と教えたように、彼等は自分の感情に溺れ、人を護る、救う剣が使えなくなった状態を「鬼」と呼ぶのだと思います。
となると、
必然と「人」の剣は 相手を想う剣、救う剣。
と解釈できます。
朝右衛門が「人」として先代が扱ったのは
恐らく白夜叉を前にした時に彼女が
「貴方が可哀想な女の子を救ういい人だから、私は貴方を辛くないように殺してあげるね」
と彼に向き合い、礼節を持った相手優位の思考だからです。
実際、坂田銀時はその言葉に救われて生きてます。
これを読み解くと夜右衛門(兄)は
自分の為に処刑人の命を奪って行った(鬼)と
自然と結論付ける事ができます。
なので、銀魂は簡単な話、
「鬼」は自分優位の状態
「人」は相手を救える人
の事を指しています。
銀さんがずっと白夜叉から抜けれないのは、彼が今まで自分の為に戦い、自分の為に師匠を救いたくて仲間を巻き込んできた自分優位の状態だからであり、
歌舞伎町に来て、
相手を護る剣を本当の意味で見つけ、何度も何度ももその為に剣を振るうことで人として許されていくのが銀魂なのだと解釈してます!