銀魂完結篇はドラえもんパラドックス理論だった説を7年目にして唱えたい
銀魂完結篇は公開からタイムマシーンを軸にした
時間軸議論がありましたが…結論を先に言います!
私、7年目にして ドラえもんのパラドックス 理論によるタイムトラベルだったのではないのか説を立てたいと思います!
前置き
完結篇は並行世界(並行宇宙)の世界なのではないか?
理論がメジャーな解釈な印象であり
斯く言う私もこの説だと思っておりましたが、
・銀魂最終篇やエピローグで類似している展開が多数ある
・ネーム本が歴史は繰り返すという意図の元、銀魂1話に繋がるように話が出来ている
・これだと銀さんが死んでる世界があり、
ぱちぐら達は銀さんの居ない世界に戻る事になってしまう
の上記3点を疑問に並行世界では無いのではないか?と考えた末、行き着いたタイムパラドックス説です(訳:皆超ハピハピエンドを迎えてくれ願望により)
また、空知先生はドラえもんが好きな印象がある事や、この理論が1番空知先生らしい(現実主義者)なと超個人的に、腑に落ちたのでドラえもんパラドックスについてブログにしようと思った次第です笑
ではまず、平行世界(並行宇宙)の説明からしていきます。
平行世界について
いわゆる未来の分岐点が生まれる状態のタイムパラドックス論です。
つまり、この説から行くと過去を改変する度に新しい未来の分岐が生まれる事になるので、
○魘魅として死んだ銀さんの世界線
○白夜叉が死んだ世界線
の少なくとも3つの分岐が発生します。
自分が居る世界は変えられないのがこの平行世界論ですので、死んだ銀さんの世界線から来たキャラ達は別の分岐点の銀さんと自分達の未来を護っただけにすぎません。
ですので、結局、新八と神楽達は銀さんの居ない世界に戻る事になり、代わりに銀魂1話の世界線が確立された事になります。
また、もう一説の考え方では
この思考法の場合もパラドックスが発生するため、干渉した時点で平行世界の自分達は消滅する事になり、新たな分岐点が主軸として確立されてく説があります。
これだと何方にせよ物語終盤のハッピーエンド感が余りにも虚くなってしまいますし、空知英秋サイコパス過ぎる!となってしまうくらいえぐいです。
では次に分岐が起きない場合の親殺しパラドックス等の考え方を紹介します。
一本化されたパラドックス
これは分岐しなかった場合に考えられるその他のパラドックスについてです。
そもそもなぜ分岐論が発生したかといえば、
矛盾が歴史上発生しない為の理論法になるからです。過去が変われば未来が変わるというのはあくまで変えた人が直接関与できない世界線ということになり、過去も未来も実際は変えられないというのが分岐パラドックスです。
逆に分岐が発生しないパラドックスとしては
○親殺しパラドックス
○過去も未来も変わらない
○干渉できる過去は決められており、物語の大筋は変えられない
の3つの説があります。
親殺しパラドックスというのは、
過去をそのまま改変できる理論です。
自分の親を殺せば自分の存在事消せるというのがこの理屈となりますが、こうなると、そもそもタイムトラベル自体が不可能になってしまうじゃないか!となるのと矛盾点が発生しまくるので、思考法として前提にありつつあまり物語では使われてない仮説っぽいです。
未来も過去も変わらないパラドックスは
全部時間軸が1本化されており、自分の行動は全て歴史上存在しているから無限ループをしているというのがこの理論です。
最早、元も子ありません。
ですので、何方の考え方も完結篇では、内容に矛盾が発生してしまう為、無しと考えます。
そう、お察しのいい方、
干渉できる過去は決められている。が
この時点で既に美味しいネタというか、
あれもこれも妄想が捗りますね(ウヘヘ)
ドラえもんパラドックスについて
まず前提でお話して行きたいのはあくまで個人的に調べた中でのドラえもんパラドックスを論であり、他のドラえもんのパラドックス論も踏まえて
一番完結篇に近い時間軸の思考なのではないか。
という超個人的解釈のもと産まれた結論です。
過去を変えても何らかの妨害が起きて過去を変えられない事→こちらの解釈としては前述の通り、
ターニングポイントとなる事の
歴史(運命)は自体は変えられない論です。
即ち変えようとした場合、妨害があった干渉の過去だけは改変可能になるということ。
→親殺しパラドックスを引用し、仮定すると親殺しをしようとした時点で親をどう頑張っても殺せない状況下に置かれるということがこのドラえもんパラドックス。
親がめちゃくちゃ強くて殺せない、何故が手が動かず殺せない。など、ありとあらゆる妨害により殺せない(改変できない)状況下におかれますが、この妨害までは過去に自分が干渉し、変更できます。
簡単にいうと、のび太はずっと優秀にはなれない運命だし、セワシくんは貧乏のままなんですね。どんなにタイムトラベルで改変しようとも(視聴した事ある方は分かるはず)
現在は過去からの干渉も織り込んだ上で成り立っている
→つまり、他のパラドックスとは違い
・分岐点で過去を改変した場合、それは織り込んだ上での現在なので、改変した人が消滅しない。
・親殺しパラドックスのように親殺しをしても親が生きてる時間が存在する為、成立しない
・過去と未来は全く変えられない訳では無いので、改変と過去への干渉が成立するのがこのドラえもんパラドックス論です。
さぁここから本題です。
やっと銀魂の話です。お察しの方ここでもう満足かもしれませんので一先ずお礼を…ここまでお読み頂きありがとうございました!
銀魂最終篇から解読 ドラえもんパラドックス
本題(お待たせしました)
ドラえもんパラドックスに付いては納得く頂けたでしょうか?要は物語のターニングポイントともなる大きく本筋に関わる未来は変えられないが、細かい岐路は変更可能になるという事です。
ではまず完結篇で登場しなかった松陽先生と高杉に付いて触れていきます。
ここでの銀魂のターニングポイントは4つです
○世界を滅ぼす出来事
○世界を滅ぼす因子と寄生先
○坂田銀時が殺す相手が居ること
○過激派攘夷というのは未来でも役割として必要なこと
では一つ一つ比較していきます
<世界を滅ぼす出来事について>
「完結篇」坂田銀時が世界を滅ぼす大魔王となり仲間も愛する人もボロボロにする
「最終篇」虚が復活し世界を滅ぼす敵として登場、自分の弟子ですらボロボロにしていく
→服装も被っている事から世界を滅ぼす代理として魘魅銀時が発生した事になります。
<因子の発生と寄生先>
「完結篇」白詛の発生により人類の危機
「エピローグ篇」虚の因子により内部からの崩壊
→完結篇(過去)で白詛を壊した代わりに、発生した新しい未来が虚の因子だったと思われます。
○寄生先については下記ツイートがわかり易いです
<坂田銀時が殺す相手>
「完結篇」銀時自身
「エピローグ」高杉
→完結篇では俺を殺れるのは俺しかいねぇでしたが、魘魅銀時という存在が無くなったことにより
高杉が銀時と似たような存在として、オレを殺れるのはお前しかいねぇの未来に変更される
<過激派攘夷について>
「完結篇」桂が穏健派から過激派へ
「最終篇」高杉の存在により、桂は穏健派へ
→つまり役割分担として、高杉の存在や過激派というのは物語上、歴史上で必要だったのではないかと思います。高杉自身もそれを分かっていて過激派を貫き通したのかもしれません。
だから高杉が居ない未来では代理になる人が必要だったので、そこに最も存在が近い桂が完結篇では高杉の役割を担った可能性があります。
他にも完結篇と類似点のある話はかなりあります。
ざっくりとあげると
<万事屋解散>
「完結篇」坂田銀時の失踪により万事屋解散
「最終篇」万事屋3人の意思決定により解散→その後坂田銀時は音信不通に
<未来でのぱちぐら>
同じ点は成長具合が似ている事
相違点としてはエピローグでは新八も神楽も納得した上で成長を志してるところ
<銀さんが白夜叉、高杉を刺す時>
「完結篇」白夜叉を殺すが、マダオが白夜叉に成り代わっている
「エピローグ」虚に成り代わった高杉
→時系列だと重なる地点の描写になるのかなと
<たまの存在>
「完結篇」たまが白夜叉時代から未来まで銀時の為にエネルギーを貯め続ける
「エピローグ」たまが目を覚まさなかったのは万事屋を待ってたから
→こちらも時系列としては類似軸なので、たまが銀時が帰ってくるのを待ってる役割を果たしているのと、たまは未来と銀時を繋ぐ役割がある?
<銀時が戻ってくる未来>
「完結篇」ぱちぐらや皆が坂田銀時を取り戻す話
「エピローグ」坂田銀時が万事屋に戻ってくるはなし(ゲロ撒き散らしながら帰ってきた)
追記:因みに完結篇では神楽が「銀ちゃんはゲロ撒き散らしながら千鳥足できっと帰ってくる。」
と発言しており、魘魅にならなかったエピローグではゲロを撒き散らして帰って来ました。
2人が信じた未来、そして本来はそんな坂田銀時が
完結篇で護った未来で手にできたこれもターニングポイントかもしれません。
など現状思い出せる範囲でもこれだけ類似点、いや改変出来ない、確定された未来のターニングポイントがあるのが分かります。
これは平行世界論よりもドラえもんパラドックス論の方が整合性が取れる解釈になるのではないかなと思います。
まとめに入りたいと思います…
銀魂を考察する
個人的に銀魂は繰り返す物語なのではないか。とずっと解釈していました。何故なら銀さんを主軸に似たような争い、展開がずっと銀魂内で続いており、そこから似たような展開の中で、小さく小さく変わっていっているのが描写されているからです。
また、空知先生は非常に現実主義でどんなに物語が進んでも坂田銀時が松陽先生を殺した事も、過去の過ちを許される展開も1つも用意していませんし、エピローグ篇では江戸も新八の強さも対して変わっていません。そんな簡単に現実が変わらないことも提示して描いています。
↓過去の似たような考察です
@Yukkonolifeさんの伏せ字ツイート | fusetter(ふせったー)
銀魂エピローグ坂田、高杉について考えてみた。 - 万事屋の壁になりたい人
何が言いたかったといいますと、
銀魂の映画、実はネームでは最後に「歴史は繰り返す」と空知先生が描いてるんです。
つまり改変した過去から連なる1話でやっぱり彼らは歴史は繰り返すし、坂田銀時の未来もそんな簡単には変わらないという現実主義者的な意図が既にあるんですよね。
この時点で映画銀魂はドラえもんパラドックスの理屈が一番しっくりくるのでは無いかと思いました。
最終篇を通して銀さん達がやっぱり歴史を繰り返しながら、そう簡単に変えられない未来に、もがき苦しむ所も、完結篇の地続きでちゃんと1話から構成された内容になって居ることも、平行世界の解釈より、空知先生らしくて銀魂らしい気がします。
そして、何が完結篇と現最終回で変わったか。それは、上記述べた通り歴史も人も繰り返しながらちょっとずつ成長して変化していく物語な事。
だから、原作最終回では完結篇で皆が信じて闘った未来のお陰で少しだけ好転した内容で展開されています。
坂田銀時が独りで背負ってた業も、自尊心が低く自分を殺しにいけてしまう性格も、銀魂最終回では同じ展開に近いのにありません。
少なくとも完結篇で坂田銀時を取り戻す物語から、
坂田銀時が自分達の場所へ帰ってくる物語へ変わった。
これは銀さん自身の内面の変化、自尊心を取り戻した彼の新しい未来の物語でもあったのです。
そして何より坂本が全ては必然。と最終回で述べたように
「看板をずっと引っ提げて待ってる」といった完結篇の坂田銀時の約束は、確定された未来(干渉できない歴史)であり、万事屋3人が出逢うことは必然的だったということ。
ケツノアナが神楽と出会う日に「今日の運勢は最高です」と言ったのも、その必然的な未来が見えていたからなのかもしれません。
終わりに
完結篇は平行世界で、無くなってしまった未来があったお話だったのではなく
ドラえもんパラドックスにより地続きで続いているお話で、銀さん1人も死んでないし、皆が信じた未来はそのまま必然的に繰り返して出逢えるよって物語だったのではないか。
という話でした。
万事屋大好きだー!!!
長々ありがとうございました。