万事屋の壁になりたい人

銀魂が好きすぎて空知先生の頭の中が見たいが故に考察もどきしてます。

銀魂は廻る物語【映画銀魂感想】

銀魂は繰り返す物語だ。

 

繰り返し繰り返しずっと同じ事の繰り返しの中で

ほんの少しだけ成長して世界が変わっていく。

 

私達の世界も同じだ。

戦争を繰り返し繰り返し、反省してほんの少しだけ前に進む。たまが見た世界のように昔の人が繋いできた平和が今此処にある。

 

 

章を重ねて廻る銀魂

 

映画銀魂

アニメまでの内容(原作での一回目の最終回)を第1章

映画(エピローグ)を第2章

たまが目覚めてから第3章

 

と区切っているのを観て凄く腑に落ちた。

本来の最終回は

結局銀さん達は何も得ていなかった。

ただ、銀さんが攘夷戦争と同じように繰り返して

万事屋と江戸を護ることが出来たくらい。

それくらい。

失ったものの方が結局多かった。

 

しかし映画第2章、いやエピローグは

攘夷に参加し繰り返してきた銀さんだけでなく、

初めて戦争に加担した新八神楽

それから真選組や江戸の人達が反省して

また戦争を繰り返す。

そう、1章と違うのは銀さんだけじゃなく、

他の人たちも学んで繰り返してる事だ。

だから皆それぞれ、

高杉も桂も先生も

自分の役割を全うする事が出来たのだ。

この戦争は坂田銀時

一人藻掻くだけじゃ終わらなかった。

皆それぞれが加害者として

どう生きて、どう向き合うか

初めて考えて銀魂の世界が終戦へ迎えたのだ。

 

そして第3章、たまが見た未来。

あれはきっと読者、視聴者のいる世界だ。

銀さんが繰り返してきた戦争が廻り廻って

あの未来がある。

第3章はようやく開くことが出来た未来だ。

 

銀魂は繰り返す物語なのだ。

だからこそ、

この物語を見た私達は

同じ争いは繰り返してはならない。

万事屋が紡いだ思いを

「どんなに時代が変わっても忘れちゃいけない物がある。」

それが銀魂が描き続けた事だと思う。

 

奇跡などない。廻るから救いがある

坂本が最後に言っていた

「奇跡などないと思うのです。」

銀魂の全てだと思う。

 

劇中、坂田銀時が高杉を助け

自分は落下して行くシーン

天人に「もう二度と奇跡はおきない」

と言われてたのにも関わらず

ぱちぐらが助けにきた。

自分達の獲物を坂田銀時に渡したのだ。

 

これは奇跡なんかじゃない。

何回も何回も坂田銀時と万事屋が

色んな事にぶつかって、模索して

失って、後悔して

何回も何回も廻って来たからこそ

最後、ぱちぐらの声が漸く坂田銀時に届いたし

坂田銀時はぱちぐらを見つける事が出来た結果だ。

 

虚を倒せたのだってそうだ。

何回も何回も坂田銀時と高杉が喧嘩して

何回も何回も闘って

何回も何回も後悔して来たから

勝てたのだ。あれは奇跡なんかじゃない。

坂田銀時と高杉が廻して来た時間が

紡いだ結果なのだ。

 

また子が赤子を見つけたのもそう。

また子が繰り返し繰り返し、

高杉との関わり方を間違えて後悔して、

繰り返し繰り返し自分の弱さと向き合って

繰り返し繰り返し探してきた結果が

あの赤子との出会いなのだ。

 

そしてあの赤子もまた、

繰り返し忌嫌われる存在になる存在だ。

出世が分からない、泉から生まれた存在に

愚かな人々また繰り返し、鬼を産むだろう。

でも1つだけあの赤子に救いがある。

また子が見つけた事だ。

 

繰り返し繰り返しあの戦争の中で模索し

銀さん達やまた子達が考え、繋いできた思いが

侍魂という信条があの赤子を救う事になった。

 

第3章は

廻り廻ってあの赤子からまた繰り返すであろう

虚の因子(人を恨む心)とその戦争を止めた世界だ。

現代へ紡ぐ希望なのだ。

 

銀魂は決してファンシーな内容ではない。

ご都合展開に思えても

ものすごくシビアだ。

シビアな上で繰り返してきた事へのアンサーがある。そこに救いがあるだけ。

 

 

 

 

銀魂は繰り返す。ずっとずっと繰り返す。

これからも万事屋は沢山何かを護って

闘って行くのだろう。

でもその度に違う未来がほんの少しだけまってる。

「雲ひとつ無い空は無くとも少しだけマシになる」

 

私達も繰り返す。これからも。

その度に闘って、学んで、

変わって行かなきゃいけない。

奇跡などない。

自分達が何時だって未来を作る。

自分の未来は自分で落とし前付けるのだ。

それが新八が自分で見つけた少しだけマシな空だ。

 

そんな物語でした。

 

ありがとう銀魂

ありがとう空知先生。

ありがとう銀魂を紡いできた全ての人。

 

他にも書きたいので一旦これにて。