万事屋の壁になりたい人

銀魂が好きすぎて空知先生の頭の中が見たいが故に考察もどきしてます。

銀魂エピローグ坂田、高杉について考えてみた。

 

高杉と坂田銀時は果たして報われたのか、

それとも報われなかったのか。

一体このモヤモヤはどうしたらいいのか?

について考えて行きたいです。

 

そもそも何故ここまで読者がモヤモヤしてしまうのか。

という事を紐解いていくと、

 

坂田銀時はこの戦争で、今度こそ大切な者を護りきりたい。とある種、過去の自分へのリベンジとして、当初話が展開していたからのように思います。

 

しかし高杉は亡くなってしまった。

勿論高杉だってこんな運命あんまりだと思います。

しかし彼は銀魂初期からこうなる覚悟で

世界をぶっ壊そうとしていた事は明白ですし

ある意味清々しい死でもありました。

 

ところが、残されてしまった人達も、

高杉にトドメを刺した坂田銀時

これから先も生きて行かなきゃいない。

バッドエンドでは無かったとはいえ、

この心の蟠りは死ぬまで彼等を襲うでしょう。

それが分かってるからこそ、

読者はそんなのあんまりだと、当初の坂田銀時

の思惑と違うじゃないか。

坂田銀時は救われたのか?高杉はその選択でよかったのか?

と大半の方が感じたのではないかなと思います。

 

しかし、思い返してみると坂田銀時

『他にもいい方法があったのではないか?』という救えなかった者達への後悔への答えが

『死んだ物達の魂を無駄にしない事』でした。

 

何故なら坂田銀時は白夜叉時代、 高杉の魂も、松陽先生の魂も、仲間の想いも、恐らく尊重してあげられなかった。

何より松陽先生をあの場で死を与え、救う事は銀魂では御法度だったのだと思います。

だから虚を産んだのは坂田銀時自身でもあった。

 

 

 

 

それを踏まえると、坂田銀時は死よりもその人の魂を尊重したい。という気持ちの方が重点的なのではないかなと推測出来ます。

 

つまり高杉の死よりも、高杉の魂の尊重の方が坂田銀時を救済出来る術だった。

 

もっと言うと、実は2年後篇、

ほぼ何も変わっていないのです。

相変わらず江戸には天人が蔓延り、

新八は坂田銀時の真似をして失敗し、

神楽と沖田は相も変わらず喧嘩をしている。

土方も、銀魂初期は坂田銀時を見張っていましたが、

この2年後篇もやはり坂田銀時を見張る役に回っています。

 

そう、そう簡単に人も物事も変わらない。

でもあの戦争で確かに何かが変わった。

ほんの少しだけ時代の風向きをいい方向に変えられた。それがエピローグの全貌であり、

空知先生の現実主義が全面に出ているオチだと思います。

 

そこを踏まえてこの高杉と坂田銀時を紐解くと

 

さらば真選組で信女は、松陽先生を殺したのは『坂田銀時ではない』とはっきりと彼に救済の言葉を与えていました。

 

しかし坂田銀時は『俺は松陽を殺した』という答えを自身に課した。

坂田銀時は過去は変える気が無い。

ことになります。

という事は、

今回の結末は坂田銀時が最後に手を下したのが、

松陽先生から、高杉へ変化しただけであり、

1話から続いてきた坂田銀時の結末は何一つ変わってはいません。

 

勿論高杉も、坂田銀時に自分の命を殺させるか、松陽先生を殺させたか。

しか過去のやり直しはきいて無いのです。

 

だから高杉と坂田銀時がこの結末で得たのは過去のやり直しではなく、魂の救済でした。

 

つまりこのエピローグ何も変わってはいません。

銀魂の主軸でもある、『人は繰り返す』そして『ほんの少しづつ変化していく』

事にフォーカスが当たっただけなのではと思います。

 

実際、エピローグがなければ高杉はあの船で亡くなっていたのでしょうし、

虚も自殺して終わっていたんじゃないかなとともいます。

何故なら2年前に殆どの話に決着は着き切ってるから。

 

要は、エピローグがあんまりだと、

救済の物語にしたかったんじゃないのか?

とどうしても思ってしまいますが、

エピローグは最終回のその先であり、

結末は変える気がない。

というのが空知先生の答えなんだと思います。

 

なにより完結篇だって、あんなに必死に皆が闘って未来が変わると信じて、それぞれの場所へ帰って行きました。

しかし2年後篇は似たような展開で、

世界が滅びかけ、坂田銀時が音信不通になり、虚を復活させることで世界を滅ぼす可能性のある存在として描かれています。

 

つまり空知先生が描く未来の殆どは何も変わっていないのです。

結末は結末なのです。

 

このエピローグで変わったのは高杉と坂田銀時の魂の救済かどうかであり、

坂田銀時が『大切な人を殺した』事も

高杉が『坂田銀時に殺めさせてしまった』事も

結論として変わる事はないという

非常にシビアなものなのだと思います。

 

それに坂田銀時も高杉もそれを分かったうえで、この戦場に立ったのだと思います。

 

いや、その覚悟で立たなければ行けなかった。

何故なら攘夷戦争は坂田銀時達が

大切な人を全て護れるなんていう傲慢な思考が招いた物でもあったからです。

 

だからこそ、それを分かった上で闘わなければ彼等は何一つ学ばず、己の魂を、侍の誇りを失ったままになってしまう事になります。

 

 

まとめますと、このエピローグは単純に魂の誇りを取り戻す物語だったんだと思います。

だから結末は何も変える気は空知先生としてなかったし、

結末は変わらなかっただけ。なんじゃないかなと。

だからエピローグがこんなのはあんまりだ、

ではなく、エピローグは最終回という結末を踏まえてのその先の物語だったんだと私は解釈しました。