万事屋の壁になりたい人

銀魂が好きすぎて空知先生の頭の中が見たいが故に考察もどきしてます。

銀魂は廻る物語【映画銀魂感想】

銀魂は繰り返す物語だ。

 

繰り返し繰り返しずっと同じ事の繰り返しの中で

ほんの少しだけ成長して世界が変わっていく。

 

私達の世界も同じだ。

戦争を繰り返し繰り返し、反省してほんの少しだけ前に進む。たまが見た世界のように昔の人が繋いできた平和が今此処にある。

 

 

章を重ねて廻る銀魂

 

映画銀魂

アニメまでの内容(原作での一回目の最終回)を第1章

映画(エピローグ)を第2章

たまが目覚めてから第3章

 

と区切っているのを観て凄く腑に落ちた。

本来の最終回は

結局銀さん達は何も得ていなかった。

ただ、銀さんが攘夷戦争と同じように繰り返して

万事屋と江戸を護ることが出来たくらい。

それくらい。

失ったものの方が結局多かった。

 

しかし映画第2章、いやエピローグは

攘夷に参加し繰り返してきた銀さんだけでなく、

初めて戦争に加担した新八神楽

それから真選組や江戸の人達が反省して

また戦争を繰り返す。

そう、1章と違うのは銀さんだけじゃなく、

他の人たちも学んで繰り返してる事だ。

だから皆それぞれ、

高杉も桂も先生も

自分の役割を全うする事が出来たのだ。

この戦争は坂田銀時

一人藻掻くだけじゃ終わらなかった。

皆それぞれが加害者として

どう生きて、どう向き合うか

初めて考えて銀魂の世界が終戦へ迎えたのだ。

 

そして第3章、たまが見た未来。

あれはきっと読者、視聴者のいる世界だ。

銀さんが繰り返してきた戦争が廻り廻って

あの未来がある。

第3章はようやく開くことが出来た未来だ。

 

銀魂は繰り返す物語なのだ。

だからこそ、

この物語を見た私達は

同じ争いは繰り返してはならない。

万事屋が紡いだ思いを

「どんなに時代が変わっても忘れちゃいけない物がある。」

それが銀魂が描き続けた事だと思う。

 

奇跡などない。廻るから救いがある

坂本が最後に言っていた

「奇跡などないと思うのです。」

銀魂の全てだと思う。

 

劇中、坂田銀時が高杉を助け

自分は落下して行くシーン

天人に「もう二度と奇跡はおきない」

と言われてたのにも関わらず

ぱちぐらが助けにきた。

自分達の獲物を坂田銀時に渡したのだ。

 

これは奇跡なんかじゃない。

何回も何回も坂田銀時と万事屋が

色んな事にぶつかって、模索して

失って、後悔して

何回も何回も廻って来たからこそ

最後、ぱちぐらの声が漸く坂田銀時に届いたし

坂田銀時はぱちぐらを見つける事が出来た結果だ。

 

虚を倒せたのだってそうだ。

何回も何回も坂田銀時と高杉が喧嘩して

何回も何回も闘って

何回も何回も後悔して来たから

勝てたのだ。あれは奇跡なんかじゃない。

坂田銀時と高杉が廻して来た時間が

紡いだ結果なのだ。

 

また子が赤子を見つけたのもそう。

また子が繰り返し繰り返し、

高杉との関わり方を間違えて後悔して、

繰り返し繰り返し自分の弱さと向き合って

繰り返し繰り返し探してきた結果が

あの赤子との出会いなのだ。

 

そしてあの赤子もまた、

繰り返し忌嫌われる存在になる存在だ。

出世が分からない、泉から生まれた存在に

愚かな人々また繰り返し、鬼を産むだろう。

でも1つだけあの赤子に救いがある。

また子が見つけた事だ。

 

繰り返し繰り返しあの戦争の中で模索し

銀さん達やまた子達が考え、繋いできた思いが

侍魂という信条があの赤子を救う事になった。

 

第3章は

廻り廻ってあの赤子からまた繰り返すであろう

虚の因子(人を恨む心)とその戦争を止めた世界だ。

現代へ紡ぐ希望なのだ。

 

銀魂は決してファンシーな内容ではない。

ご都合展開に思えても

ものすごくシビアだ。

シビアな上で繰り返してきた事へのアンサーがある。そこに救いがあるだけ。

 

 

 

 

銀魂は繰り返す。ずっとずっと繰り返す。

これからも万事屋は沢山何かを護って

闘って行くのだろう。

でもその度に違う未来がほんの少しだけまってる。

「雲ひとつ無い空は無くとも少しだけマシになる」

 

私達も繰り返す。これからも。

その度に闘って、学んで、

変わって行かなきゃいけない。

奇跡などない。

自分達が何時だって未来を作る。

自分の未来は自分で落とし前付けるのだ。

それが新八が自分で見つけた少しだけマシな空だ。

 

そんな物語でした。

 

ありがとう銀魂

ありがとう空知先生。

ありがとう銀魂を紡いできた全ての人。

 

他にも書きたいので一旦これにて。

銀魂完結篇はドラえもんパラドックス理論だった説を7年目にして唱えたい

銀魂完結篇は公開からタイムマシーンを軸にした

時間軸議論がありましたが…結論を先に言います!

私、7年目にして ドラえもんパラドックス 理論によるタイムトラベルだったのではないのか説を立てたいと思います!

 

前置き

完結篇は並行世界(並行宇宙)の世界なのではないか?

理論がメジャーな解釈な印象であり

斯く言う私もこの説だと思っておりましたが、

銀魂最終篇やエピローグで類似している展開が多数ある

・ネーム本が歴史は繰り返すという意図の元、銀魂1話に繋がるように話が出来ている

・これだと銀さんが死んでる世界があり、

ぱちぐら達は銀さんの居ない世界に戻る事になってしまう

の上記3点を疑問に並行世界では無いのではないか?と考えた末、行き着いたタイムパラドックス説です(訳:皆超ハピハピエンドを迎えてくれ願望により)

 

また、空知先生はドラえもんが好きな印象がある事や、この理論が1番空知先生らしい(現実主義者)なと超個人的に、腑に落ちたのでドラえもんパラドックスについてブログにしようと思った次第です笑

 

ではまず、平行世界(並行宇宙)の説明からしていきます。

 

平行世界について

いわゆる未来の分岐点が生まれる状態のタイムパラドックス論です。

つまり、この説から行くと過去を改変する度に新しい未来の分岐が生まれる事になるので、

○魘魅として死んだ銀さんの世界線

○白夜叉が死んだ世界線

○過去を改変し、ナノマシンが無くなった世界線

の少なくとも3つの分岐が発生します。

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自分が居る世界は変えられないのがこの平行世界論ですので、死んだ銀さんの世界線から来たキャラ達は別の分岐点の銀さんと自分達の未来を護っただけにすぎません。

ですので、結局、新八と神楽達は銀さんの居ない世界に戻る事になり、代わりに銀魂1話の世界線が確立された事になります。

 

また、もう一説の考え方では

この思考法の場合もパラドックスが発生するため、干渉した時点で平行世界の自分達は消滅する事になり、新たな分岐点が主軸として確立されてく説があります。

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これだと何方にせよ物語終盤のハッピーエンド感が余りにも虚くなってしまいますし、空知英秋サイコパス過ぎる!となってしまうくらいえぐいです。

 

では次に分岐が起きない場合の親殺しパラドックス等の考え方を紹介します。

 

一本化されたパラドックス

これは分岐しなかった場合に考えられるその他のパラドックスについてです。

そもそもなぜ分岐論が発生したかといえば、

矛盾が歴史上発生しない為の理論法になるからです。過去が変われば未来が変わるというのはあくまで変えた人が直接関与できない世界線ということになり、過去も未来も実際は変えられないというのが分岐パラドックスです。

 

逆に分岐が発生しないパラドックスとしては

○親殺しパラドックス

○過去も未来も変わらない

○干渉できる過去は決められており、物語の大筋は変えられない

の3つの説があります。

親殺しパラドックスというのは、

過去をそのまま改変できる理論です。

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自分の親を殺せば自分の存在事消せるというのがこの理屈となりますが、こうなると、そもそもタイムトラベル自体が不可能になってしまうじゃないか!となるのと矛盾点が発生しまくるので、思考法として前提にありつつあまり物語では使われてない仮説っぽいです。

 

未来も過去も変わらないパラドックス

全部時間軸が1本化されており、自分の行動は全て歴史上存在しているから無限ループをしているというのがこの理論です。

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最早、元も子ありません。

ですので、何方の考え方も完結篇では、内容に矛盾が発生してしまう為、無しと考えます。

そう、お察しのいい方、

干渉できる過去は決められている。が

今回のドラえもんパラドックスの主題になってまいります。

この時点で既に美味しいネタというか、

あれもこれも妄想が捗りますね(ウヘヘ)

 

ドラえもんパラドックスについて

まず前提でお話して行きたいのはあくまで個人的に調べた中でのドラえもんパラドックスを論であり、他のドラえもんパラドックス論も踏まえて

一番完結篇に近い時間軸の思考なのではないか。

という超個人的解釈のもと産まれた結論です。

 

ドラえもんパラドックスとは

過去を変えても何らかの妨害が起きて過去を変えられない事→こちらの解釈としては前述の通り、

ターニングポイントとなる事の

歴史(運命)は自体は変えられない論です。

即ち変えようとした場合、妨害があった干渉の過去だけは改変可能になるということ。

→親殺しパラドックスを引用し、仮定すると親殺しをしようとした時点で親をどう頑張っても殺せない状況下に置かれるということがこのドラえもんパラドックス

親がめちゃくちゃ強くて殺せない、何故が手が動かず殺せない。など、ありとあらゆる妨害により殺せない(改変できない)状況下におかれますが、この妨害までは過去に自分が干渉し、変更できます。

簡単にいうと、のび太はずっと優秀にはなれない運命だし、セワシくんは貧乏のままなんですね。どんなにタイムトラベルで改変しようとも(視聴した事ある方は分かるはず)

 

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○他、ドラえもんパラドックス

現在は過去からの干渉も織り込んだ上で成り立っている

→つまり、他のパラドックスとは違い

・分岐点で過去を改変した場合、それは織り込んだ上での現在なので、改変した人が消滅しない。  

・親殺しパラドックスのように親殺しをしても親が生きてる時間が存在する為、成立しない          

・過去と未来は全く変えられない訳では無いので、改変と過去への干渉が成立するのがこのドラえもんパラドックス論です。

 

さぁここから本題です。

やっと銀魂の話です。お察しの方ここでもう満足かもしれませんので一先ずお礼を…ここまでお読み頂きありがとうございました!

 

銀魂最終篇から解読 ドラえもんパラドックス

本題(お待たせしました)

ドラえもんパラドックスに付いては納得く頂けたでしょうか?要は物語のターニングポイントともなる大きく本筋に関わる未来は変えられないが、細かい岐路は変更可能になるという事です。

 

ではまず完結篇で登場しなかった松陽先生と高杉に付いて触れていきます。

ここでの銀魂のターニングポイントは4つです

○世界を滅ぼす出来事

○世界を滅ぼす因子と寄生先

坂田銀時が殺す相手が居ること

○過激派攘夷というのは未来でも役割として必要なこと

 

では一つ一つ比較していきます

<世界を滅ぼす出来事について>

「完結篇」坂田銀時が世界を滅ぼす大魔王となり仲間も愛する人もボロボロにする

「最終篇」虚が復活し世界を滅ぼす敵として登場、自分の弟子ですらボロボロにしていく

→服装も被っている事から世界を滅ぼす代理として魘魅銀時が発生した事になります。

 

<因子の発生と寄生先>

「完結篇」白詛の発生により人類の危機

「エピローグ篇」虚の因子により内部からの崩壊

→完結篇(過去)で白詛を壊した代わりに、発生した新しい未来が虚の因子だったと思われます。

 

○寄生先については下記ツイートがわかり易いです

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<坂田銀時が殺す相手>

「完結篇」銀時自身

「エピローグ」高杉

→完結篇では俺を殺れるのは俺しかいねぇでしたが、魘魅銀時という存在が無くなったことにより

高杉が銀時と似たような存在として、オレを殺れるのはお前しかいねぇの未来に変更される 

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<過激派攘夷について>

「完結篇」桂が穏健派から過激派へ

「最終篇」高杉の存在により、桂は穏健派へ

→つまり役割分担として、高杉の存在や過激派というのは物語上、歴史上で必要だったのではないかと思います。高杉自身もそれを分かっていて過激派を貫き通したのかもしれません。

だから高杉が居ない未来では代理になる人が必要だったので、そこに最も存在が近い桂が完結篇では高杉の役割を担った可能性があります。

 

他にも完結篇と類似点のある話はかなりあります。

ざっくりとあげると

<万事屋解散>

「完結篇」坂田銀時の失踪により万事屋解散

「最終篇」万事屋3人の意思決定により解散→その後坂田銀時は音信不通に

 

<未来でのぱちぐら>

同じ点は成長具合が似ている事

相違点としてはエピローグでは新八も神楽も納得した上で成長を志してるところ

 

<銀さんが白夜叉、高杉を刺す時>

「完結篇」白夜叉を殺すが、マダオが白夜叉に成り代わっている

「エピローグ」虚に成り代わった高杉

→時系列だと重なる地点の描写になるのかなと

 

<たまの存在>

「完結篇」たまが白夜叉時代から未来まで銀時の為にエネルギーを貯め続ける

「エピローグ」たまが目を覚まさなかったのは万事屋を待ってたから

→こちらも時系列としては類似軸なので、たまが銀時が帰ってくるのを待ってる役割を果たしているのと、たまは未来と銀時を繋ぐ役割がある?

 

<銀時が戻ってくる未来>

「完結篇」ぱちぐらや皆が坂田銀時を取り戻す話

「エピローグ」坂田銀時が万事屋に戻ってくるはなし(ゲロ撒き散らしながら帰ってきた)

 

追記:因みに完結篇では神楽が「銀ちゃんはゲロ撒き散らしながら千鳥足できっと帰ってくる。」

と発言しており、魘魅にならなかったエピローグではゲロを撒き散らして帰って来ました。

2人が信じた未来、そして本来はそんな坂田銀時

完結篇で護った未来で手にできたこれもターニングポイントかもしれません。

 

など現状思い出せる範囲でもこれだけ類似点、いや改変出来ない、確定された未来のターニングポイントがあるのが分かります。

これは平行世界論よりもドラえもんパラドックス論の方が整合性が取れる解釈になるのではないかなと思います。

 

ドラえもんパラドックスと最終回についての

まとめに入りたいと思います…

銀魂を考察する

個人的に銀魂は繰り返す物語なのではないか。とずっと解釈していました。何故なら銀さんを主軸に似たような争い、展開がずっと銀魂内で続いており、そこから似たような展開の中で、小さく小さく変わっていっているのが描写されているからです。

また、空知先生は非常に現実主義でどんなに物語が進んでも坂田銀時が松陽先生を殺した事も、過去の過ちを許される展開も1つも用意していませんし、エピローグ篇では江戸も新八の強さも対して変わっていません。そんな簡単に現実が変わらないことも提示して描いています。

↓過去の似たような考察です

@Yukkonolifeさんの伏せ字ツイート | fusetter(ふせったー)

エピローグからみる銀魂の正体 - 万事屋の壁になりたい人

銀魂エピローグ坂田、高杉について考えてみた。 - 万事屋の壁になりたい人

 

何が言いたかったといいますと、

銀魂の映画、実はネームでは最後に「歴史は繰り返す」と空知先生が描いてるんです。

つまり改変した過去から連なる1話でやっぱり彼らは歴史は繰り返すし、坂田銀時の未来もそんな簡単には変わらないという現実主義者的な意図が既にあるんですよね。

この時点で映画銀魂ドラえもんパラドックスの理屈が一番しっくりくるのでは無いかと思いました。

最終篇を通して銀さん達がやっぱり歴史を繰り返しながら、そう簡単に変えられない未来に、もがき苦しむ所も、完結篇の地続きでちゃんと1話から構成された内容になって居ることも、平行世界の解釈より、空知先生らしくて銀魂らしい気がします。

 

そして、何が完結篇と現最終回で変わったか。それは、上記述べた通り歴史も人も繰り返しながらちょっとずつ成長して変化していく物語な事。

だから、原作最終回では完結篇で皆が信じて闘った未来のお陰で少しだけ好転した内容で展開されています。

坂田銀時が独りで背負ってた業も、自尊心が低く自分を殺しにいけてしまう性格も、銀魂最終回では同じ展開に近いのにありません。

少なくとも完結篇で坂田銀時を取り戻す物語から、

坂田銀時が自分達の場所へ帰ってくる物語へ変わった。

これは銀さん自身の内面の変化、自尊心を取り戻した彼の新しい未来の物語でもあったのです。

 

そして何より坂本が全ては必然。と最終回で述べたように

「看板をずっと引っ提げて待ってる」といった完結篇の坂田銀時の約束は、確定された未来(干渉できない歴史)であり、万事屋3人が出逢うことは必然的だったということ。

ケツノアナが神楽と出会う日に「今日の運勢は最高です」と言ったのも、その必然的な未来が見えていたからなのかもしれません。

終わりに

完結篇は平行世界で、無くなってしまった未来があったお話だったのではなく

ドラえもんパラドックスにより地続きで続いているお話で、銀さん1人も死んでないし、皆が信じた未来はそのまま必然的に繰り返して出逢えるよって物語だったのではないか。

 

という話でした。

万事屋大好きだー!!!

長々ありがとうございました。

 

すみっコぐらしはラストが最大の君へのメッセージだ

まず声を大にして言いたい。

これは過去最高級の「子供向け」映画だ。

 

そしてあのラストは、

この映画を見た君の元まで、

すみっコぐらしが助けに行く事は出来ないけれど、

「君の内側で見守ってるよ。」

というメッセージだったんじゃないかと、

 

ヒヨコ(映画)とすみっコ達(視聴者)

という揶揄に

優しい想いを詰めていたんじゃないかと思う。

 

 

だからもしいつか、

この映画を見た子供が

ページの隅に、意味もなく落書きをされて

忘れさられてしまったような気持になった時、

すみっコで暮らしてしまいたくなるような

出来事にぶつかった時

 

ふと思い出して、

「大丈夫」といわれてるような

心に残ってる映画であって欲しいと思いました。

 

 

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最近、生きる事に理由が必要で

存在に意味が付けられて、

ネットでは何がしかになりたい子で沢山溢れているように思う。

 

そして、大概の子供向けというのは

正義や魔法使い

なんて存在に名前の付いた存在の物が沢山出てくる。

 

だからふと、気づいた時には

自分がヒーローにも

名前の付く存在にもなれない事に気がついて

もがきながら大人になってたりするのが現代だと思う。

 

でもこのすみっコぐらしという映画には

「存在理由」という物がなかった。

 

誇張して解釈するならば、

世の中の爪弾き物と

教室のすみっコで忘れられちゃうようなヒヨコ

が主人公達だったのだ。

 

そして、この映画は最後まで、

自分達の存在理由に答えはださなかった。

 

何故ならこの映画がは理由なき事を肯定し、

絵本(映画)と外側(視聴者)の世界だとしても

君を思って救いにいくよ。

というお話だったから。

あのエンドロールは絵本という隔たりを越えて

彼等がヒヨコを救いに行ったのだ。

 

 

こんなに救済される映画はなかなかない。

誰だって存在理由を探しては見つからなくて

世界の隅にいる気分になったりする。

 

そんな時に、この映画は

それでいい、

君がヒーローなんてなれなくても

魔法少女になんてなれなくたって

爪弾きのような存在だって

 

時に手を取り合って

似たもの同士だねなんて支え合えばいいじゃないの。

 

その手を差し伸べる優しささえ持ってれば

独りじゃないよって

包み込んでくれる

作品だったから。

 

これこそ子供達に

いや、すみっコぐらしをしてる大人にも

 

是非観て欲しい。

 

また、

作品というのは寝る間も惜しみながら

見てくれる人を想って作ってる人達がいて、

エンドロールはその想いの結晶であり、

一人一人の署名みたいな物。

 

だから映画という枠組みから

君を救いにはいけないけれど、

君を思って作ってる人達が沢山いるんだよ。

 

この映画そのものが君の味方なんだよ。

 

という意味があるんじゃないかと、

最後のエンドロールまで手を抜かなかった映像を観て勝手に解釈してしまいました。

 

 

子供に限定して語ってしまいましたが、

この時代だからこそ

何物でもない私達大人を

そして未来で大人になる子供達を

そっと包んでくれる映画だったと思います。

 

 

 

 

きっとこの映画を見た事、

私は死ぬまで忘れられない。

 

 

 

 

 

 

最後まで読んでくださり、

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

銀魂が終わってしまった話

 


銀魂の最終回を終えて銀魂に関してあまり呟かなくなったその心境の変化に付いて

銀魂ファンとして、長々と綴らせてください。

 


結論を言えば

「これ以上もう何も言うことはない。」

 


と最終回を読んで思ったからなんです。

 

 

『前置き』

 

実は、最終回は万事屋解散派でした。

というのも理由が2つあって

①万事屋が続いてしまうと、その世界を見続ける事がもう出来ない。

置いてかれた気持ちになってしまうから。

 


銀魂のシビアさ、そして儚さが好きだった

 


そしてその銀魂に想いを馳せていた数十年間が無くなってしまうのが怖い。

という理由でした。

 


しかし実際、最終回の大円団を見て

銀魂と一緒に過ごしてきた数十年間がなくなってしまった。

という喪失感を感じなかった。

当たり前のように銀魂が居ない日常に帰れてしまった。

ある意味なにも感じない自分にショックも受けましたが、

 


これは銀魂が与えてくれた

銀魂の想いがちゃんと自分の中に根付いていたから」

が理由でした。

(この事に気づくまで1ヶ月くらいかかった…)

 


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『万事屋は解散しなかった話』

 


私は万事屋の儚さが好きでした。

 


いつか居なくなってしまうかもしれない。

坂田銀時は自分達を捨ててしまうかもしれない。

家族になる事も出来ない。

傍にいる理由を見つける事でしかここには居れない。

 


その切なさと葛藤している彼等達が好きでした。

彼等の葛藤を見て、自分も向き合おうと思えたから。

もしくは、その切なさと苦悩を自分が抱えている親近感が好きだったから。かもしれません。


だからこそ、

最終回は解散であって欲しいと思っていました。

その葛藤の末に向き合い、

解散する事で次に進んでいく彼等が見たかったからです。

私は、その切なさに胸が締め付けながらも、

人生ってそういう物だよな。

銀魂のリアリティさを受け入れて読みたかった。

 


ところが、銀魂の最終回の答えは

万事屋が続く事でした。

 

 

 

彼等が選んだ結論は

いつか迎える死のその時まで傍にいる覚悟と

そして、また敵が現れた時

それでも逃げずに護り合う覚悟でした。

 


全部全部受け入れて、

「ここにいたい、傍にいたい」

そんな不確かであやふやな形で

理由なく傍にいる選択肢を選んだ。

 


単純にハッピーエンドなんかではなく

また子も、万事屋も、他の皆も

これから先も葛藤と儚さを抱えて

それでも傍に生きてく。

という答えを出したんだと思います。

 


それを見て、

自分が好きだった儚さは銀魂から

消える事は出来ないんだと、

 


彼等のその強い意思と魂が

私の「人生ってそういうものだよな。」

万事屋は「大人になったから解散なんだ」

と思いたかった願望を追い越して

納得させてしまったんです。

 


なにより連載の数十年間が、

説得性を帯びていた。

いつの間にか読者として

彼等の選択肢の道のりに納得していた。

 


いや、万事屋の数十年間を通して、

 儚さに胸を締め付けられて

「人生ってそういうものだよな」と

読みたかった自分も一緒に成長していたのかもしれません。

 


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銀魂の魂が自分に存在してた話』


また、少々個人的な話になりますが、

 


銀魂最終回と同時に

自分の仕事がだんだんきつくなり、

辞めたい、逃げたい。という気持ちと

この仕事には自分の夢の地続きがある。

というジレンマにかられてました。

 


ピークの時は電車のホームから

到着のアナウンスが流れる度、

このまま飛び降りたら全部楽になるんじゃないか?と考える程。

 


そんな葛藤のなかで

 


「ダメでもいい、

出来損ないな自分がいても大丈夫。

でももし、そこに自分の得たいものがあるのなら、誰かを思ってその夢を叶えたいのなら、

自分と戦い続けるしかないんだ。

自分に勝ちたい。」

 


とふとした瞬間思えて、

ホームに飛び降りそうになった脆い脚で

踏ん張って立つ事が出来ました。

 


そう、いつの間にか自分の中に

侍の考えが根付いていた事に気づいたんです。

銀魂がそう言ってたから、と思わない程自然に

 


侍という概念が、

銀魂の数十年間の物語を読み続けたことで

自分の中に芽生えていたんです。

 


銀魂が自分の中に存在してる…

 

 

 

 


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『結論』  


上記の万事屋が続く選択と、

自分の中に根付いてた侍魂に気づいてから

本当に置いてかない物語だったなと

改めて思いました。

 


銀魂が終わろうと侍魂は自分の中に存在してた。

そして万事屋が、また子が

それでも傍にいる為に戦い続けると選んだ選択肢が

彼等が残した侍魂

空知先生が綴り続けた銀魂という名の

『侍の書』が

 


今の読者の世界に繋がっている。

 


それに、あの銀魂の儚さも、戦争をオマージュしたような描写も、風刺らしさのある話も

全部受け止めて銀魂は続いていて、

彼等が居ないこの世界でもなお、

その想いを受け取った読者がここにいる。

 


これ以上なにか言うことはあるのか?

解釈したいことはあるのか?

と問われれば

答えは「NO」でした。

 


勿論、創作が好きな方はこれからも

銀魂の事を沢山呟くと思います。

 


でも私のように解釈を好きなだけしたかった人間としてはもう何も言うまい。

と。

全て納得してしまったし、

空知先生が描いて来たものが全部今に繋がるのなら、

万事屋の過去も未来も、

全部受け取り方は変わっていく。

 

だったらもうこのまま、あのままの銀魂

素直に受け入れて、心にしまいたいなと思いました。

 

 

いや、もしかしたら既に勝手に心の中に万事屋が住んでいた。

だからこそ、彼等と共に自分が死ぬまでの次の物語を綴りたい。

 

そう思うようになってしまったのかもしれません。

 

『最後に』

空知先生の意図から逸れた受け取り方かもしれません。

 

ただ、物語を受け取った者が側のエゴとして

こんなに素敵な後味の漫画はこれ以上ないです。

単純に最終回ではなく、自分の中に勝手に住んでしまった、これからも続く物語になってしまったから。

 

 

『あとがき(?)』

改めて、銀魂が与えてくれた数十年間は

私にとって大きく、

気づいた時には自分の人生観が変わっているような作品でした。

今ここにいるのは全部銀魂のお陰です。

 

何度も壁にぶち当たる自分を

奮い立たたせてくれたのは、彼等と彼等の物語を綴り続けていた空知先生のお陰でした。

 

 

銀魂を最後まで書いてくれた事、

万事屋をまた結成させてくれて

本当に、ありがとうございました。

 

こんな素敵な作品に出逢えた事が私の人生の誇りです。

 

さようなら銀魂

ありがとう銀魂

 

またね👋

 

そして、多分これからも銀魂の事を呟きますが

これにて私の銀魂の深読みは終了だと

一区切りを付けたいと思います。

(銀魂を読み直した時に、

また深読みしそうなので付き合ってね)

 

とても楽しい時間でした。

また、色んなリプをくれた方、質問箱に沢山質問してくれた方、繋がってくれた方がいたからこそ、

私は今の自分でいられます。

素敵なファンに出会えた事が何より嬉しかったです。

また次の作品も何処かで会いましょう。

また知らない人として、ファンとして

出逢いましょう。

その時はまた、沢山の好きを一緒に語れたら幸いです。

 

一時でもフォローしてくれてた方、

今も繋がってくれてる方、

銀魂から離脱する方。

みんなみんなありがとうございました。

 

(ゆっこ)

 

 

 

 

 

 

 

 

怒られた時に『怒り』と『教わる事』の切り分け思考をすると楽だ

例えば、注意されたり、怒られた時に、

その怒ってる人って

『自分の思い通りにならなかった怒り』と

『伝えたい事の主軸』の2つが混ざって、

受け手に伝えてると思うんです!


その時、怒られた側の人達って大抵の人が、
①怒られてしまった。という悲しいさや怒り、嫌われる、呆れられたんじゃないかという不安などの『自分の感情的部分』

②相手の怒りの『感情』を受け取り

③『怒りの中にあった本質的に伝えたい(注意したかった事項)』

の3つを、同時に処理しなければなりません。
これって物凄く精神的に効率が悪いですし、

 

普通、同時に受け取った感情に焦りながら、

相手が教えようとしていた事を忠実に受け取る事も、再び実行する事も難しいと思います。

 

しかしながらこれを読み解くと、

①の自分の感情というのは、

自分が期待されたかった。応えたかった。嫌われたくない。という

自己顕示も近い物が本質的にあります。

なので、そのプライドをまずは捨てる。

また、新入社員なら特に、初めはミスをする物ですし、知らない物をできるようにするというのはとても時間が掛かることです。

なので、このミスしてしまった。

という落ち込みも、不要でなのです。

 

むしろ、沢山失敗して、余分に教えて貰った方が、後の未来で絶対に役に立ちますし、物事を円滑に出来るようになるのではなかと個人的には思います!

 

また、

②の相手の感情というのは、

即ち相手が勝手に発生させてる感情です。

確かに、怒られた時は迷惑を掛けてしまったかもしれません。怒るのも分かるかもしれない。

 

逆に、嫌な上司なら無意識に自分の鬱憤を晴らしてる場合もあります。

その答えは分かりません。

ただ、言える事は、

それは相手が所持した感情であり、

此方は操作出来ない、どうしようもない。というです。

なので、この感情を直接受け取る必要もありません。

 

この①②を一旦上手に自分から切り離して考えられるようになると、自ずと相手が伝えたかった、教えたい事項だけが上手に頭に入ってきますし、

感情を受け取らない分、

簡潔的に考えられるようになります。

 

するとタスク的思考になり、

・失敗した事⇒

・改善法

 

が明確に見え、同じ失敗はしないように、

再びチャレンジがしやすくなりますし、

『今いい事教えて貰ったから、更なる成長が出来るぞ!』と前向きに考えられるようになります!

 

まとめますと、

教えてくれる人が居るということは、その人の持ってる知識を貰えると言う事。

そしてまた別の人に教えて貰ったり、自分が勉強すれば、1周回った時、その上司よりも、

得てる物は増えているという事になります。

教えて貰うという事はとても有り難い事です。

 

なので、その教えて致いた事は有り難く受け取りながら、

相手の感情は操作出来ないので一旦スルーする、

自分の感情も大抵がプライドなので、自分の無知さを受け入れて、スルーする。

という

①感情

②貰った情報

を分別出来ると、とても楽だし、落ち込むよりは簡単に成長できるぞ!というお話でした。

 

逆に色々覚えれば、その上司に恩返しやら、迷惑を掛けた事に関して返却を倍にしていけると思います。

 

失った信頼は後に取り戻せば大丈夫!というお話でした。

 

エピローグからみる銀魂の正体

あと1話だからこそ、先に描いておきたい

銀魂の物語の全貌はこうだったんじゃないか?』

という個人的説のお話です。

 

【前置き】

まず前提としてお話していきたいのが

銀魂は『憎しみを断ち切る』

事が全体の物語だったんじゃないのか?

という事です。

 

銀魂は本来、規定通りの漫画でいけば

坂田銀時があるべき姿って

高杉だと思うのですよね。

 

高杉は誰に怒りを向けていいかも分からない、

憎んでいいのか、殺していいのかすら分からなかった。

 

何故なら敵は時代が産み落とした全貌のないその物だったからです。

 

それが憎しみの塊になり、復讐心を産み

争いを産んできた。

これが物語の主軸になるはずです。

 

ですが坂田銀時はその憎しみを断ち切りました。

そして、桂の『過激派攘夷』という

憎しみの争いの種も初期に消し去ります。

 

そう、これは坂田銀時

『時代が作り出した憎しみを消していく』

鬼退治の物語なのではないでしょうか。

 

 

銀魂の全貌】

ここで注目して欲しいのは

攘夷戦争から続く

『正体のない(時代)敵』です。

 

実はこの正体のない敵が

銀魂の1話から、

そこら中で戦の種を撒いていました。

 

例えば、

 

新八が侍を否定しているこの時代(正体のない敵)に、

やり場のない憎しみを抱えたらどうなるでしょうか?

父親という存在をこのまま否定してたら?

姉上がそのまま攫われていたら?

あのまま天人を新八が恨んだら?

 

例えば

神楽が江戸という冷たい国を恨んだとしたら?

自分に流れる野兎の血を憎んだら?

自分を利用する時代に嘆いたとしたら?

 

これだけでも『憎しみはすぐそこにあった』

 

なにより桂という『過激派』が

このまま続いてたら、

確実にまた戦が起こります。

何故なら桂の行為で、

また傷ついた人達が何かを恨み、

そして真選組が、桂や、傷ついた人達の反乱憎み、

そうやって、両者時代に翻弄され

堂々巡りに争いは続いて行くからです。

 

そう、思い返せば万事屋が巻き込まれていく事件の大半は

『戦の種』だったとは思いませんか?

もっというとその種は

『人の弱さが故に生まれる時代の流れ』から生まれた物だとしたら?

 

坂田銀時率いる万事屋はずっとその『憎しみ』

と対峙してきたのではないかと思います。

時代という大きな流れに逆らいながら、

沢山の戦の種を消してきた。

 

今日まで人が生きてるからこそ産まれ、続いてきた

『憎しみ』の連鎖を彼等は1つ1つ断ち切って来たのがこの銀魂というお話の正体だったのではないかと思うのです。

 

そしてこの『憎しみの終着』は

そよ姫が喜喜を許し、

江戸に天人を改めて受け入れた事で終わると思います。

 

それは、今まで万事屋が沢山の輪を広げ

侍という種を巻いて来なきゃ迎えられなかった結末だった。

もしくはもっと早くに別の形で

戦争が起きていたかもしれません。

 

 

【まとめ】

過去の戦争を通して、坂田銀時は何を感じて来たのか。もう二度とくだらない争いを起こさないためには?

という銀魂は戦争をしない為の

疑問提示が主軸にあったのだと思います。

 

そしてそのアンサーが『憎しみを断ち切る強さ』『時代に流されない心』

という侍魂の必要性なのではないかな。と。

 

つまり銀魂は最初から時代が敵で、

その時代と1話から

一個一個向き合あい、『憎しみ』を摘み取っていたのが銀魂の全貌であり、

その終着が最終編だったので!というお話でした。

 

支離滅裂というか、書きなぐりました

ごめんなさい。

以上です!

 

 

銀魂エピローグ坂田、高杉について考えてみた。

 

高杉と坂田銀時は果たして報われたのか、

それとも報われなかったのか。

一体このモヤモヤはどうしたらいいのか?

について考えて行きたいです。

 

そもそも何故ここまで読者がモヤモヤしてしまうのか。

という事を紐解いていくと、

 

坂田銀時はこの戦争で、今度こそ大切な者を護りきりたい。とある種、過去の自分へのリベンジとして、当初話が展開していたからのように思います。

 

しかし高杉は亡くなってしまった。

勿論高杉だってこんな運命あんまりだと思います。

しかし彼は銀魂初期からこうなる覚悟で

世界をぶっ壊そうとしていた事は明白ですし

ある意味清々しい死でもありました。

 

ところが、残されてしまった人達も、

高杉にトドメを刺した坂田銀時

これから先も生きて行かなきゃいない。

バッドエンドでは無かったとはいえ、

この心の蟠りは死ぬまで彼等を襲うでしょう。

それが分かってるからこそ、

読者はそんなのあんまりだと、当初の坂田銀時

の思惑と違うじゃないか。

坂田銀時は救われたのか?高杉はその選択でよかったのか?

と大半の方が感じたのではないかなと思います。

 

しかし、思い返してみると坂田銀時

『他にもいい方法があったのではないか?』という救えなかった者達への後悔への答えが

『死んだ物達の魂を無駄にしない事』でした。

 

何故なら坂田銀時は白夜叉時代、 高杉の魂も、松陽先生の魂も、仲間の想いも、恐らく尊重してあげられなかった。

何より松陽先生をあの場で死を与え、救う事は銀魂では御法度だったのだと思います。

だから虚を産んだのは坂田銀時自身でもあった。

 

 

 

 

それを踏まえると、坂田銀時は死よりもその人の魂を尊重したい。という気持ちの方が重点的なのではないかなと推測出来ます。

 

つまり高杉の死よりも、高杉の魂の尊重の方が坂田銀時を救済出来る術だった。

 

もっと言うと、実は2年後篇、

ほぼ何も変わっていないのです。

相変わらず江戸には天人が蔓延り、

新八は坂田銀時の真似をして失敗し、

神楽と沖田は相も変わらず喧嘩をしている。

土方も、銀魂初期は坂田銀時を見張っていましたが、

この2年後篇もやはり坂田銀時を見張る役に回っています。

 

そう、そう簡単に人も物事も変わらない。

でもあの戦争で確かに何かが変わった。

ほんの少しだけ時代の風向きをいい方向に変えられた。それがエピローグの全貌であり、

空知先生の現実主義が全面に出ているオチだと思います。

 

そこを踏まえてこの高杉と坂田銀時を紐解くと

 

さらば真選組で信女は、松陽先生を殺したのは『坂田銀時ではない』とはっきりと彼に救済の言葉を与えていました。

 

しかし坂田銀時は『俺は松陽を殺した』という答えを自身に課した。

坂田銀時は過去は変える気が無い。

ことになります。

という事は、

今回の結末は坂田銀時が最後に手を下したのが、

松陽先生から、高杉へ変化しただけであり、

1話から続いてきた坂田銀時の結末は何一つ変わってはいません。

 

勿論高杉も、坂田銀時に自分の命を殺させるか、松陽先生を殺させたか。

しか過去のやり直しはきいて無いのです。

 

だから高杉と坂田銀時がこの結末で得たのは過去のやり直しではなく、魂の救済でした。

 

つまりこのエピローグ何も変わってはいません。

銀魂の主軸でもある、『人は繰り返す』そして『ほんの少しづつ変化していく』

事にフォーカスが当たっただけなのではと思います。

 

実際、エピローグがなければ高杉はあの船で亡くなっていたのでしょうし、

虚も自殺して終わっていたんじゃないかなとともいます。

何故なら2年前に殆どの話に決着は着き切ってるから。

 

要は、エピローグがあんまりだと、

救済の物語にしたかったんじゃないのか?

とどうしても思ってしまいますが、

エピローグは最終回のその先であり、

結末は変える気がない。

というのが空知先生の答えなんだと思います。

 

なにより完結篇だって、あんなに必死に皆が闘って未来が変わると信じて、それぞれの場所へ帰って行きました。

しかし2年後篇は似たような展開で、

世界が滅びかけ、坂田銀時が音信不通になり、虚を復活させることで世界を滅ぼす可能性のある存在として描かれています。

 

つまり空知先生が描く未来の殆どは何も変わっていないのです。

結末は結末なのです。

 

このエピローグで変わったのは高杉と坂田銀時の魂の救済かどうかであり、

坂田銀時が『大切な人を殺した』事も

高杉が『坂田銀時に殺めさせてしまった』事も

結論として変わる事はないという

非常にシビアなものなのだと思います。

 

それに坂田銀時も高杉もそれを分かったうえで、この戦場に立ったのだと思います。

 

いや、その覚悟で立たなければ行けなかった。

何故なら攘夷戦争は坂田銀時達が

大切な人を全て護れるなんていう傲慢な思考が招いた物でもあったからです。

 

だからこそ、それを分かった上で闘わなければ彼等は何一つ学ばず、己の魂を、侍の誇りを失ったままになってしまう事になります。

 

 

まとめますと、このエピローグは単純に魂の誇りを取り戻す物語だったんだと思います。

だから結末は何も変える気は空知先生としてなかったし、

結末は変わらなかっただけ。なんじゃないかなと。

だからエピローグがこんなのはあんまりだ、

ではなく、エピローグは最終回という結末を踏まえてのその先の物語だったんだと私は解釈しました。